僕の小さな‥‥ -- Little Sorceress --
僕の小さな‥‥
− Little Sorceress −
――「全くもう!少し考えれば分かるでしょう!」
そう、彼女は言った。
でも、僕にはさっぱり分からなかった。
何故なら‥‥
*
僕と彼女の出会いは、ある偶然から始まった。
‥‥と言えば聞こえはいいが‥‥。
ゴンッ!!
いつもの曲がり角を曲がろうとした瞬間だった――頭に強い衝撃を感じたのは。僕は何が起こったのか分からず、それより痛みに何も考えられないでいた。そんな時、声が聞こえた。
「痛ったぁ〜っ!そこのあなた、もう少し気を付けて歩きなさいよね!」
良く通る高い声だった。僕に非難の言葉を浴びせているのをみると、僕はこの子とぶつかってしまったらしい。ようやく戻ってきた視覚には、頭を押さえてしゃがみ込んだ小柄な女の子が映った。
可愛い子だな、と思った。‥‥口調さえ厳しくなければ。
「え、えっと‥‥ごめん。」
つい謝ってしまったが、良く考えたら彼女も同罪のような気がした。というか、僕は普通に歩いていただけだし、彼女も歩いていたならこんなに強くぶつかるわけは無いような気がした。
「全くもう‥‥痛っ!」
彼女は立ち上がろうとして、別の痛みに膝を押さえた。見ると、膝をすりむいてしまっている。手の間から、血が流れ出していた。
僕はポケットから、あまり普段使われないハンカチを取り出して差し出した。
「使って。」
「い、いいわよ別に‥‥。」
彼女はそう言ったが、やはり膝を気にしている。
「元々僕のせいで怪我をしちゃったんでしょ? 気にせず使ってよ。」
彼女は少しだけ悩んだような顔をした後、言った。
「じゃあ、遠慮なく使わせてもらうわ。感謝はしないからね。」
そういう彼女にハンカチを渡した。彼女が脚を伝う血をふき取っている間、僕は1つ探しものをした。
「あそこに水道があるよ。」
僕がそう言って近くにあった公園を指差すと、彼女は不機嫌そうな顔をしたままそれに従った。
僕は特に急いでいるわけでも無かったので、彼女が傷口を洗い流すのを見届けた。
「いつまで見ている気?‥‥それとも、女の子の血が付いたハンカチを持ち帰りたいの?」
何か変なものを見るような視線を向けられてしまった。
「‥‥それじゃあ‥‥えっと、お大事に。」
何か間違えているような気がしなくも無いが、とにかく僕はそう言うと、彼女に背を向けた。
「あ‥‥待ちなさいよ!」
その言葉に、僕は振り返る。
「あなた、明日もきっとこの時間にこの場所を通るわよね?」
「まあ、そうだけど‥‥」
僕は正直に答えた。
「だったら、絶対一度ここに寄りなさいよ。」
彼女が言った。
「いいけど‥‥どうして?」
「いいから来なさい!」
「わ、分かりました。」
彼女の剣幕に押されて、ついつい丁寧語になってしまった。
「全くもう‥‥少しは察しなさいよね。」
今度こそ背を向けた僕の背後から、そんな声が聞こえたような気がした。
*
次の日。僕は昨日より10分早く部屋を出て、約束の公園に向かった。程なく僕はそこに到着した。驚いたことに、彼女はすでにそこにいた。
「思ったより早かったじゃない。‥‥はい、これ。」
そういって手渡されたのは、真新しいハンカチだった。僕がまじまじとそれを見ていると、
「あなたの物じゃなくて悪かったわね。ヘモグロビンは界面活性剤でも落ちないのよ。」
と、不機嫌そうに言った。つまりは洗剤で洗っても血は洗い落とせなかったって事だ。僕はそれを理解するのに、恥ずかしながらかなり時間が掛かってしまった。
「えっと‥‥ありがとう。」
「あのねぇ‥‥元々あなたのものを使わせてもらったんだから、あなたがお礼を言うことじゃ無いのよ。」
あきれたような口調で言った彼女は、それでも何か落ち着かない様子だった。
「とにかく!代わりのものは返したからね!」
そういうと、彼女は走って行ってしまった。
*
次の日。
僕はふらりと街に出かけた。特に用があったわけでもなく、何となく足が向かった。せっかく街に出たからと数軒の店に入るが、目当てがあるわけでもないので、何か良さそうなものが無いかなぁ程度の気分だった。結局、足りなくなってきていた靴下と出なくなってきていたボールペンを買った程度のもので、その日は帰路についた。
その時だった。明らかに何かに急いでいる彼女を目にしたのは。それだけならば僕は何とも思わなかったかもしれない。だけど、彼女が向かった先は‥‥裏路地で、行き止まりのはずだった。僕は何となく気になってそこに向かった。
裏路地の、行き止まり。普段は誰も寄り付かない場所だ。本当に文字通り、誰かがいることは無い。入るのに何となく抵抗を感じたが、思い切って入ってみた。
でも、そこには誰もいなかった。入って行ったはずの彼女も。
僕がその場を離れようとした時、眼の端に何かキラリと光るものが映った。何となく気になってそこに向かうと、地面にネックレスのような物が落ちていた。それは円の中に2つの三角形が重なって星型を模っているような物だった。それが彼女のもののような気がして、僕は貰ったばかりのハンカチに包んだ。明日渡せばいいかな、なんて、軽い気持ちだった。
*
次の日は、普段の30分前に部屋を出た。それぐらい前からいれば、彼女は通りがかるだろうと。
そして、彼女はいた。何かを必死に探しているようだった。彼女は地面をしきりに気にしながら、公園のほうに向かった。僕はそれを追って、公園に向かった。
ザッ。
僕が公園の砂を踏む音を立てた瞬間。
「誰っ!?」
彼女は予想以上に激しい剣幕で僕の方を見た。僕はその鋭い眼に驚いて、一瞬何も言うことができなくなった。
「あ‥‥あなただったの。一言くらい声を掛けなさいよね!驚いたじゃないの!」
彼女はそういうが、驚いたのはどっちかって言うと僕のほうだ、と思った。
「何かを探しているみたいだったけど‥‥」
僕がそういうと彼女は、
「え‥‥何でも無いのよ!‥‥全くもう、あんまり詮索しないでよね!」
なんて言った。でも僕には1つ心当たりがあった。僕は昨日のネックレスみたいなものを取り出して言った。
「昨日拾ったんだけどさ、これって、きみのじゃないかな?」
それを見ると、彼女の目つきががらっと変わった。
「あなた、それをどこで見つけたのよ!?」
「えと‥‥街の裏路地で。」
言ってから、しまったな、と思った。これでは僕が後をつけたと言っているようなものだ。
「あなた‥‥あの場所に入ったの?」
しかし彼女がそういった時にした目つきは、僕を咎めるようなものではなくて、驚きの目だった。
「まあ、そうなるね。」
僕は正直に答えた。
「はあ‥‥ぶつかった時から変だとは思っていたんだけどね‥‥。」
彼女はため息混じりにそういった。だけど、僕にはそれがどういう意味かさっぱり分からなかった。
「で、これってそんなに大切なものなの?」
分からなかったので、僕は話を戻した。
「はあ‥‥普通だったらこんなことは話さないけどね、見つけてくれたからには、教えてあげなきゃいけないわね。それは、特殊な銀で作られた六芒星なの。あなた、六芒星って分かる?」
「いや、さっぱり。この模様、ロクボウセイって言うんだ?」
「そうよ。それで、それは魔術的な意味のある模様なのよ。いろいろと意味があるけど、これの場合は身に着けるものを護るように、身に着けるものの魔力を高めるように、という祈りが込められているのよ。」
「‥‥魔力?」
「そ、魔力よ。あたし、魔女だから。」
冗談めいた口調で彼女は言った。
「え‥‥?」
「なんてね。それは、あたしの宝物なのよ。分かったら、返してくれるかしら?」
いつもの調子に戻って、彼女は言った。
「あ、ごめん。」
僕は慌ててそれを彼女に手渡した。
「全くもう。なんでそこで謝るのよ。あなたはあたしの落し物を届けてくれたの。だから普通はあたしがあなたにお礼を言うの!分かった!?」
「は、はい。」
彼女がまくし立てるのに、ついそう返事をしてしまった。
「‥‥ありがとね。じゃ、またねっ!」
そういうと、彼女は走って行ってしまった。
「魔女‥‥か。」
何となく、似合ってるな、と思ってしまった僕は、変だろうか?
*
次の日も、30分前に部屋を出た。彼女はまた、公園にいた。
「おはよう。」
僕が声を掛けると、
「あなたって、よっぽど暇人なのね‥‥」
なんて言われてしまった。否定できないあたりが悲しい。
「いや、家が近いからね‥‥。」
僕は苦し紛れに思いついたことを言った。
「ふぅん‥‥でもそれって理由になっているのかしら?」
彼女は意地の悪そうな笑みを浮かべながら言った。
「言われてみると、確かにそれは関係ないね‥‥」
僕は苦笑した。
「あ、そうだわ。暇ついでに、1つ訊いてもいいかしら?」
彼女がふと思いついたように言った。
「別にいいけど‥‥何?」
「もしもの話よ。‥‥もしも魔法が1つだけ使えるようになるとするなら、あなたはどんな魔法がいい?」
「魔法‥‥?」
彼女の問いは、『もしも』の話。だけど僕は、何故かそれにリアリティーを感じずにはいられなかった。
「そう、魔法よ。何でもありよ。」
僕はしばらく考えた。そのあいだ、ずっと彼女はいたずらっぽい瞳で僕を見上げていた。
僕は持てる想像力を総動員し‥‥そして1つの結論を出した。
「‥‥やっぱりいいや、使えなくって。」
「え‥‥? 何でよ?」
彼女は少し意外そうな顔をし、それからちょっと不満そうな顔に変わりながら言った。僕はそれに答える。
「魔法は、使えないから魔法なんだと思う。使えちゃったらそれは、技術にしかならないんじゃないかな、って。」
「使える魔法は技術‥‥あなたらしい答えだわ。でも、だったら魔法を技術として、凄い技術は使えるようになりたくは無いのかしら?」
さらに彼女が問う。
「そりゃ、凄い技術なら何だって使いたいよ。‥‥だけどさ、凄い技術っていうのは普通の技術をものすごく積み上げて得られるものだよね。‥‥だからさ。積み上げずに得られる技術なんてあったら、僕は怠けちゃうんじゃないかって思ってね。」
「だったら、魔法が努力して得られる技術だとしたらどうなの?」
彼女は、挑戦的なのか真剣なのか、区別の付かない瞳をしていた。僕は自分の考えを続ける。
「それだったら、僕は魔法を使うことを目指すかもしれないね。‥‥でも、それは魔法としてじゃなくて、1つの技術として。魔法っていうのは、積み上げられないところにあるものだから。だから僕は、魔法が魔法である間は、魔法は使えなくていいんだ。」
「ふぅん‥‥何となく分かったような気がするわ。」
彼女は1人で何かを納得したようだ。けど、僕には彼女が結局何を聞きたかったのか、全く分からなかった。
「あなたって、いつも真剣なのね。」
しばらく何かを考えていたような彼女が、僕の方に向き直って言った。
「え‥‥?」
「不思議そうね。でも考えてみなさいよ。普通、突然『魔法』なんて言われたら、訝しむか冗談に思うかでしょう? それをあなたは、きっと実際に何らかの魔法が使えるようになったことまで空想して、さっきの結論を出したのよ。あたしの何気ない質問に答えるためだけに。」
「それは――」
それは、きみだって、どこか真剣なような気がしたから――
僕がそういう前に。
「でもね。そういうの、あたし、嫌いじゃないわよ。」
それだけ言うと、僕が何かを答える前に、
「じゃあねっ。」
彼女は手をひらひら振りながら、走って行ってしまった。
‥‥結局彼女は何が聞きたかったのだろう?
僕にはそれが、分からずじまいだった。
*
ピギッ!
突然、耳をつんざくような音が響いた。
「!!?」
いきなりの事に、僕は驚いて辺りを見回した。何が起こるとこんな音がするのか、僕には分からなかった。それどころか、どこからその音がしたのかさえはっきりしない。
「‥‥?」
そんな音がしたというのに、近くを歩く人達はまるで何も無かったかのように通り過ぎてゆく。
――空耳?‥‥にしても、音が大きすぎるよな‥‥
僕は自分でビックリするほどの空耳なんて話は聞いた事が無い。だとしたら一体――
「‥‥ん?」
僕は、音の発生源になりうるものを見つけた。
これが、こんなふうにヒビ割れたなら、さっきの音になるかも知れない、と。
――でもまさか、こんなものが裂けるなんて‥‥!
しかし僕の目の前の空間には、縦に1mほどのヒビ割れが確かにあった。
――なんだこれ‥‥!
でも、驚くにはまだ早かったと知るのに、あまり時間は掛からなかった。そのヒビ割れの向こうで、何かが動いたのが見えたからだ。
――そうか。空間なんてものが壊れているんだ。その向こうに何か見えても、おかしくは無いのか。
僕は勝手に納得して、そのヒビ割れの向こう側を覗き込んだ。
「!!!?」
最初に僕の目に映ったのは、何か黒いモノ。僕にはアレをそれ以上説明できるだけの表現力が無いらしい。だけど、それ以上に僕が驚いたのは、ソレに向き合っている1人の少女。
――あの娘は‥‥!
その少女は間違いなく、自分は魔女だとおどけて言った彼女だった。その彼女が、口を動かし始めた。そこから発せられたのは、僕には理解できないけれどおそらく、何かの言葉だった。
パアァァァッ‥‥!
その言葉に反応したように、彼女の胸元から光が溢れ出した。輝いているのは、この間のロク‥‥とにかくネックレス。その光に照らされた黒いモノは、蒸発するように消えていった。
「ふう。‥‥あとは、あれを直さないといけないわね。」
彼女はそう呟くと、僕のほうに向かって歩いてきた。僕は何が何だかさっぱり理解できず、その場に突っ立っていた。ただし、空間のヒビ割れの向こうはずっと覗いたままで。
彼女はそのヒビ割れに触れられるほどまで近づくと、ヒビ割れの一番上のほうに手を触れた。こっちを気にしている様子はほとんど無い。
――もしかすると、向こうからは見えないのかな?
僕がそんなことを考え始めた時、彼女が向こうでぴょんぴょんと飛び跳ねた。おそらくこのヒビ割れの一番上を触ろうとして、なかなか届かずにいるのだろうけど‥‥彼女が短い丈のスカートを全く気にせずに飛び跳ねていることに、とても罪悪感を抱いた僕はそのヒビ割れから顔を背けた。
「‥‥もしかしてあなた‥‥見えてたの?」
突然、彼女から声が掛かった。
「ごめん!そんなつもりじゃ‥‥!」
振り向くと彼女は、ただ驚いた顔だけをしていた。その顔が、何故かあきれたような顔に変わる。
「ごめんって‥‥あのねぇ、だからなんでそこで謝るのよ。全くもう、あなたがいつあたしに謝るようなことをしたっていう‥‥あ。」
彼女の頬が赤く染まる。
「全くもうっ!こっちが見えているんなら早く言いなさいよっ!」
「ごめん、驚きっぱなしでそれどころじゃ無かった‥‥」
つい弁解してしまった。でも、良く考えたら早く言って欲しかったのはこっちも同じだった。
「はぁ‥‥あたしはあなたに驚きっぱなしだわ。まさかアストラルワールドまで見えるなんて。普通はこっちが見える見えないどころか、こっちの音も聞こえないし、その亀裂にも気付かないし、近づく事もできないはずなのよ。無意識のレベルで避けるようにね。」
「じゃあ、きみが何も言わなかったのは‥‥」
「そうよ。あたしが見えてるなんてちっとも思わなかったのよ。まあ、あなたが突っ立ってるのを見て、亀裂くらいはもしかすると見えているかも、とは考えたけどね。ああ、全然自覚無さそうだから言っておくけど、そこからこっちを見るっていうのは三次元空間のどの方向でも無いところにあるものを見ているのとほとんど変わらないのよ。」
「三次元空間のどの方向でも無いところ‥‥?」
――えっと。三次元空間ってのは確か、僕らがいるこの世界の事だっけ?‥‥それから、全ての方向が3つの方向に分解できたんだったっけ。あれ?ちょっと違ったかな‥‥
「はぁ‥‥あんまり分かってないみたいね。本当はちょっと違うんだけど、2秒ぐらい先が見えているみたいなものと言えば少しは分かりやすいかしら?」
「2秒先‥‥」
なんだかますます分からなくなってしまった。
「ああ、もうっ!こんな事話している場合じゃ無かったわ!これはもう直すから、続きはまた今度ね!」
「あ、‥‥うん。」
ぺたぺた。
そんな感じで、彼女はこの空間のヒビ割れを直していく。
「いつまで見てるのよっ!!」
「あっ‥‥ごめんっ!」
僕は急いで顔をそむけた。何だかさっきから謝りっぱなしだった。
「全くもうっ‥‥。」
後ろからそんな声が聞こえた気がした。
ずっと感じていた違和感のようなものが無くなり、僕は振り向いた。
当然そこには何も無かった。
*
「アストラルワールドっていうのはね、1つのパラレルワールドなのよ。」
ブランコを軽くこぎながら、彼女は言った。
「パラレルワールドって‥‥この世界とは別の、もう1つの世界だったっけ?」
彼女の話は、相変わらず難しい。この間の事を説明してくれるって言うのだけど、始めっからこの調子じゃ後が厳しそうだ。
「そうよ。それで、この世界と大きく違うのは、向こうは精神が中心の世界だってこと。」
「精神が中心‥‥?」
「あんまり分かってないみたいね。‥‥まあ、それも当然なんだけどね。いいわ、どうせ時間はあるんだし、ゆっくり説明してあげるわ。」
‥‥例えゆっくり説明されようと、理解できるかはかなり疑問なんだけど‥‥。
「‥‥覗き見した分は、ちゃんと聞いていきなさいよね‥‥。」
僕のその心を見透かしたのか、彼女が不機嫌そうな顔で言った。
「分かったって‥‥。」
そう言われては何ともいえない。僕は覚悟を決めて、彼女の話を聞く事にした。
「まずこの世界は、物質が中心の世界よね。違うっていう人もいるだろうけど、そんなのはこの際無視。ほとんどのエネルギーが物質に宿っているんだから、それでいいのよ。」
‥‥何だか、その常識からハズれている彼女にあるまじき言葉と思うのは僕の気のせいだろうか?
「そこ、他事を考えない。‥‥それとも、ここまでで言いたい事でもあったの?」
「いえ、ありません先生。」
「誰が先生よっ!」
おどけて言った僕の言葉に、予想通りの反応をした彼女。こうしてみるとやっぱり、まるっきり普通の女の子なんだけど‥‥
「全くもう‥‥。続けるわよ?」
彼女は1つ、ため息をついた。
「それに比べてアストラルワールドは、精神が中心の世界。エネルギーのほとんどは、精神に宿るのよ。意思は力に、知識は技術に、機転は機敏さに、感性は五感の鋭さになるような世界。この世界とは、在り方からして違うのよ。」
なんだか、凄い世界だ。
「でもそれって、かなり危ないんじゃあ‥‥?ちょっとした衝動や出来心でさえ、力になるって事だと思うから‥‥」
僕がそういうと、彼女は少し驚いたような顔をした。
「へえ‥‥あれだけの事から、そこまで想像できるのね。アストラルワールドが見えるわけだわ。‥‥でもね。アストラルワールドでの力の強さはあくまで思いの強さなのよ。だから、そんなひと時の衝動くらいでは他者に力を及ぼすには至らないのよ。」
「なるほどね‥‥。」
僕は何となく納得した。
「‥‥だけど、あなたの言ったことも、間違っているわけでは無いのよ。それが積もり積もって、あたしを走り回らせている原因になっているのだから‥‥」
「きみが走り回る理由‥‥? それが、あのヒビ割れの向こうに僕が見たものなのかな?」
「そもそも、そのヒビ割れがおかしいのよ。パラレルワールドっていうのは平行世界なんだから、本来は交わる事なんて無いはずなのよ。そして‥‥交わってはいけないものなのよ。」
そうか、彼女は交わってはいけない世界を交わらせないために、がんばっているんだ‥‥
「それが交わりそうになっているのに、理由があるのかな?」
「もちろん。それが積もり積もった衝動なのよ。さっきこっちの世界のエネルギーのほとんどは物質に宿るって言ったわよね?‥‥でも、精神にも僅かにだけど、エネルギーがあるのよ。そして最近、こっちの世界は破壊的な衝動がどんどん増えていて、それがアストラルワールドの方にも影響して、エネルギーの塊として発生しているのよ。その同質のエネルギーが万有引力のように引かれ合って‥‥2つの世界がくっつきそうになっているのよ。」
‥‥なんだかまるで、物理の授業を聞いているみたいだ。エネルギーとか引力とか、良く分からない。でも‥‥
「それって、物凄くスケールの大きい話なんじゃあ‥‥?そんなの、1人で止められるようなものなのかい?」
「‥‥そんな事は、やってみなければ分からないわよ。確かにこっちの世界の人の衝動なんていちいち止めてはいられないけど、アストラルワールド側の問題なら介入できるわ。ただ精神で打ち勝てばいいだけなのだからね。」
僕はこの言葉に、引っ掛かるものを感じた。
1つは、彼女が初めてはっきりと断定しない事を言ったこと。
もう1つは、はっきりしない事にも関わらず、自信満々なこと。
彼女は理論的な子だ。それなのに、はっきりしない事に確信を持っている。
僕は考えても良く分からない事の方が多いから、何かするときも話すときも思いつきでやる事が多い。それで思いついた事をあまり疑ったりはしないけど‥‥
「‥‥何か問題でもあったの?言いたい事があるのならはっきり言いなさいよ?」
無意味に考え込んでしまった僕に、彼女はそう言った。
「いや‥‥危険は無いのかな? って思ってね。」
危険が無いなら、手伝ってあげたい。僕はふと、そう思った。
そう思ったあとで、またふと思った。‥‥でも、もし危険があったとしたら――?
「‥‥向こうで衝動に負けたとしたら、人格という器に固定されていた精神は衝動の渦の欠片になるんじゃないかしら?」
彼女は軽い調子で言った。それがごくありふれた事を言うような調子だったからか、僕はすぐにはその言葉の意味を理解することはできなかった。
「‥‥だからね。連れて行けっていうのは駄目よ。」
そのせいか、僕がそれを言う前に彼女に言われた。だけど――
「何で?」
と、僕は言った。
「何でって‥‥全くもう!少し考えれば分かるでしょう!」
そう、彼女は言った。
でも、僕にはさっぱり分からなかった。
何故なら、それはもう、理屈じゃなかったから。
何をどう考えても、彼女1人で危険なことをさせるなんて、できない。
「じゃあ‥‥自力で行くしか無いかなぁ‥‥?」
まあ、行けるかどうかは知らないけど。
「‥‥どうして?」
彼女は顔を伏せて言った。
「どうして、今までの話を聞いてそんな風に思うのよ!?」
怒ったような彼女の声。
「きみはまたあの世界に行く。僕も行きたい。だけどきみは連れて行ってはくれない。だったら自分で行くしか無い。僕にはそれ以外に方法が見つからないからね。」
「なんで、わざわざ行き方も知らない危険な場所へ行こうと思うのよ!?」
それはただ――
「放っとけないから。」
「‥‥歪んでゆく世界が放っておけない? 随分と英雄気取りな事を言うのね。で? そのあと自己満足でもしたいわけ?」
棘のある言葉を僕に向ける彼女。
だけど、その棘に絡まれているのは‥‥他でもない彼女だった。
「いや‥‥僕が放っておけないのは世界なんてものじゃなくて、誰も気付かない世界のゆがみを、誰にも知られずどうにかしようとしている、きみだけだよ。」
「え‥‥?」
驚き‥‥戸惑い‥‥様々な感情が、彼女の顔に表れて移ろう。
「だから――」
僕が次の言葉を伝えようとしたのを、彼女がさえぎった。
「だったらなおさら――!」
彼女は僕に背中を向けた。
「連れては、行かないからっ!」
彼女はそのまま、走って行ってしまった。
僕は、どうするべきだろう?
‥‥いや、違うな。
僕は、何がしたい?
*
――そして僕は、今日も公園にいた。
いつもここにいた彼女が、今日はいない。
誰もいなければ、淋しいだけのこの公園。
こんなところで、彼女は何をしていたのだろうか。
こんなところで、彼女は何を思っていたのだろうか‥‥?
だけど、彼女をいくら想っても彼女の想いは分からなくて。
僕は、もう1つの目的地に向かう事にした。
そして、公園を出ようとしたその瞬間――
違和感を、覚えた。
僕は振り返り、公園を見る。
誰もいない。
誰もいない。
誰も、いない‥‥?
僕は、右から左まで、公園全体を見回した。
だというのに、まだ見てない場所があるような、そんな違和感。
僕は公園を見回すという、ただそれだけのことに全神経を集中させた。
まばたきがしたくてたまらない。だけど、それをしたら大切なものを見落とすような気がして、必死でこらえた。
そして――僕は、公園の中に少女の姿を見つけた。
泣き出しそうな顔をした彼女は、僕に姿を見られた事を知り‥‥
逃げるように、走った。
小さな体なのに、彼女は速かった。
僕は必死で追いかけた。
――何故逃げるのか? 何故それを追いかけるのか?
そんな事は頭に浮かばなかった。
ただ彼女を見失いたくなくて、走った。
だけど周りに人通りが増えてきて、彼女は真っ直ぐ走り続けるのに、僕は人をよけて走らなければならなくなり――ついに僕は、彼女を見失ってしまった。
気付けばここは、商店街だった。
僕は最後の可能性を追って、いつかの裏路地に向かった。
不思議と誰もいない場所。
溜まり場となるには悪くない条件のはずなのに、そこに人がいる事は無かった。
ここから先は想像に過ぎないけど‥‥もしかすると、人がいないことにすら誰も気付いていないのかもしれない。いつか彼女は言っていた。
『あなた‥‥あの場所に入ったの?』
『ぶつかった時から変だとは思っていたんだけどね‥‥。』
あの時はさっぱり意味の分からなかった言葉だ。だけど、彼女の話を聞いた今なら、大体のことは想像できそうだ。まずあの場所は、普通に入れる場所じゃないということ。その存在に気付いて初めて、踏み入るかを考える事ができる。そして強く『入ろう』と思わないと、無意識のうちに寄り付こうとは思えなくなる。つまりは、あの場所は彼女の言っていたアストラルワールドに近いんだ。いつかあった空間のヒビ割れのように、誰も寄り付かない。
さっきの彼女も同じなのだろう。彼女を見ようと思わなければ見れない。人が多い街を彼女が平気で真っ直ぐ走っていけるのも多分、同じ理由だろう。‥‥きっと初めて会ったあの時も、彼女はそうして走っていたんだろう。けれど、どういうわけかそれらの影響をあまり受けない僕は彼女が走ろうとしていた道に居座ったままで‥‥人がいるはずないと曲がり角にも構わず走っていた彼女とぶつかってしまったんだろう。
――なんだ、あの時ぶつかったのは、やっぱり彼女が悪かったんだ。
あの時は僕が一方的に謝らされたから、一言くらい文句を言ってやらないといけないな。
‥‥そのためにはまず、彼女に会わなきゃいけなかったか。
僕はためらい無く路地裏に入った。注意深く見回すが、期待していたような入り口は無かった。この間のひび割れのような入り口が隠されているんじゃないかと少し期待していたが、さすがにそんなに甘くは無かったみたいだ。
‥‥だったら、無理矢理行くしか無い。ここが一番あっちに行きやすい場所のはずなのだから。
僕はまず、この間見たあっちの空間を思い出した。何か黒いモノがあって彼女がいて‥‥と、あの時の彼女のしぐさを思い出してしまった。可愛かったけど‥‥今でもバツが悪い。でも、その分繊細にイメージできてしまう。そして僕は、その方向を向いた。
――彼女が『三次元空間のどの方向でも無いところ』と言っていた、その方向を。
そして僕は、一歩、足を踏み出した。
*
白。白一色。
見渡す限り、永遠の白色。
今までとは明らかに違うその場所に僕はいた。
どうやら、来れてしまったみたいだ。
だけど、彼女は近くにはいないみたいだった。
さて、これからどうするか。
‥‥決まってる。彼女のいるところに行くんだ。
と、問題が1つ。
彼女がいるのは、どっちだろう?
そこで、彼女の言葉を思い出す。
『アストラルワールドは、精神が中心の世界。』
『エネルギーのほとんどは、精神に宿るのよ。』
『意思は力』
『知識は技術』
『機転は機敏さ』
『感性は五感の鋭さ』
『この世界とは、在り方からして違うのよ。』
さて。彼女の居場所を、感じよう。
僕はイメージする。彼女の姿を、顔を、声を、ちょっとキツいあの性格を。
きみは今、どこにいる?
僕はこの空間から、彼女のイメージと同じ感覚を拾った。
――見つけた!
遠くにいるようだが、向きはもう迷わない。僕ははっきりと彼女のいる方向を感じた。
さて、次は彼女のところへ向かうのだが‥‥感覚からすると歩いていったら日が暮れてしまうほど遠くにいるらしい。だから移動手段は‥‥
彼女の場所に、繋がれ!
一瞬感じた、空間が歪むようなイメージ。次の瞬間僕は、彼女をこの目で見ていた。
何も無い白い地面に膝を付いた彼女。そして彼女が直視するのは、例の何か黒いモノ。彼女の言っていた、破壊的な衝動の塊。にしても――
「でかい‥‥」
それは前に見たモノとは比較にならないほど大きなものだった。そして、前に見たのが昼間の影くらいの黒さだとしたら、これは星明かりさえない闇夜のようなものだった。
彼女はいつかのネックレスを握り締め、この間のように僕の知らない言葉のようなものを発した。ネックレスは光り輝き、幾筋もの光条がほとばしる!
それは黒いモノの闇を削った。しかしそれだけで消えるほど、それは小さくなかった。彼女が一歩、あとずさる。次の瞬間、黒い塊が彼女に押し寄せた。彼女に覆いかぶさるように。あるいは彼女に入り込むかのように。
「危ないっ!」
僕は考えるより速く、彼女の元に跳んでいた。彼女を突き飛ばした次の瞬間、僕は強い衝撃を受け、転がっていた。感じたのは不思議な衝撃。頑なな拒絶を受けたような感覚。それに弾かれたように、僕の体は転がった。
僕の元に駆け寄ってくる気配。
「全くもう‥‥どうして来たのよ‥‥! 来れてしまったのよ‥‥!!」
強い口調にいつもの勢いは無く、
見上げると彼女は、泣いていた。
飛ばされたことに対する心配、来てしまった事に対する憤り、来てくれた事に対する嬉しさ、危険な状況に飛び込まれてしまった困惑、何とかしなきゃと言う決意‥‥彼女から、様々な気持ちが伝わる。
「どうしてって‥‥それはちゃんと伝え――」
どくん。
突然体に衝撃が走った。いや、これは衝撃じゃなくて‥‥衝動。
いや、そんなことを考える余裕も無かった。
「‥‥どうしたのよ?」
彼女の声が聞こえた‥‥気がする。
「ねえ! しっかりしなさいよ!」
どくん。
心の底から何かが湧き上がるような感覚。そして、心を制御するものが外れていくような感覚。
僕はゆっくり立ち上がった。
そして近くにあった何かを見た。
白いだけで何も無い中にある、形のあるもの。
それを見たとき、最初に思ったこと。それは――
壊したい。
滑らかで、適度に柔らかく、幾つかの細長いパーツを持ったそれは、僕に近づいてきた。耳ざわりのいい音を発しながら。これを壊す時、これはどんなにいい音を出す事だろうか――。
壊したい。
壊したい。
壊したい。
僕は壊す場所を見定めた。中心となるパーツと、さらさらした細長いものがたくさん付いている丸いパーツ。僕はそれらを繋げる部分に手を伸ばした。そこを両手でつかみ、ゆっくりと力を加えていく。
「――!――――!」
それは音を発しながら、ばたばたと動く。僕はそれを楽しみながら、加える力を強めた。それは動く力を徐々に失っていき――
コトォォン‥‥
ロクボウセイが転がり落ちていた。
次に目に入ったのは、苦しそうな彼女。
「しっかり‥‥しなさいよ‥‥ね‥‥」
かすかに口から漏れる、擦れた声。こんな状態でも、案じているのは僕の事だった。
――僕は、何をしに、ここへ来た?
――僕は、何がしたかった?
壊したい?
いや、違う。
僕が今したいことは、ただ1つ。
僕は、
彼女を‥‥
――守りたい!!
*
意識が覚醒していく。
‥‥柔らかい。
最初に感じたのは、頭に感じた柔らかさ。いつもの枕じゃないみたいだ。
次に感じたのは、硬さ。ベッドとは違う、硬質なものに寝転がっているみたいだ。
そこで、はっと気付いて目を開ける。
最初に目に入ったのは、少し頬を赤らめた彼女の顔。
それから、周りの状況がだんだん分かってくる。
ここは‥‥公園。
今いるのは‥‥ベンチの上。
柔らかいのは‥‥彼女の膝枕。
‥‥え?
僕の頭はようやく動き始めた。
動き始めても、できた事は驚く事だけだったけど。
「あんまり驚かないでよ。あたしだって‥‥ちょっと恥ずかしいのよ?」
そんなことを言われても、驚くなと言うほうが無理だと思う。僕が体を起こそうとすると、
「しばらくこのままでいさせなさいよね‥‥。」
なんて言われてしまった。いや、それは願っても無い事だけど。‥‥とは、口に出さない方が良さそうかな。
「それは構わないけど‥‥。」
代わりにそれだけを言って、あとは彼女の顔をぼんやりとみつめた。
彼女は僕にみつめられてから、そわそわしはじめるまでにあまり時間はかからなかった。
「‥‥知りたくは無いの?」
黙っていては落ち着かなくなったのか、彼女が僕に話しかけてきた。
「‥‥何を?」
「あのあと何が起こったのか、よ。」
そういえば、帰ってきているんだなぁ。
今更ながらに僕はそう思った。
「そう言われれば、気になるね。」
「‥‥あなたの強い意志は、あの場所に漂っていた衝動とは、正反対のものだった。あなたが衝動に影響を受けてしまったように、衝動もあなたの意思に影響を受けたのよ。アストラルワールドに漂う破壊的衝動はあなたの意思で緩和されて‥‥こっちの世界とは距離を置くようになったわ。」
「それできみは、僕をこっちに連れて戻ってきてくれたんだ。」
「こっちに戻ってこれたのも、あなたの力だと思うわ。こっちの世界とアストラルワールドが距離を置いたあと、一本だけ道が残ってたわ。この公園を目指して真っ直ぐにね。あたしでは渡れないような距離だったのに、それはあたしを導くようにここへ連れてきたの。
‥‥全部、あなたに‥‥」
彼女の声が震える。
僕は出会った時から、彼女の事を強い娘だって思っていた。
確かに強い娘には違いないけど、そんな特別強いってわけじゃ、無かったんだ。
気が強くたって、魔女だったって‥‥
彼女は1人の、女の子だったんだから。
「守ってくれて、本当、ありがとう。」
ぽろぽろと涙をこぼした彼女の頬に、僕はゆっくりと手を重ねた。
「僕の方こそ、ありがとう。」
「‥‥え?」
「僕の事ばかり心配かけさせて、ごめんね。」
「いいわよ、そんな事‥‥」
「それでもすごく、嬉しかったから。」
「うん‥‥」
僕らは暗くなるまで、そうしてゆっくり時を過ごした。
*
「全くもう!少し考えれば分かるでしょう!」
相変わらず、彼女にはよくそう言われる。
でも、僕はいつもさっぱり分からない。
何故なら‥‥彼女の言う事は、相変わらず難しいから。
「もう‥‥しょうがないわね‥‥」
そういって彼女は少し、表情をやわらげる。
そんな可愛い仕種を横目で見ながら、いつもの道を歩く。
僕の彼女は、小さな魔女。
僕なんかよりずっと頭のいい彼女は‥‥
「いつまでぼーっとしてるのよ!早く行くわよ!」
相変わらず、ちょっとキツいけど。
こういうのもいいかな、なんて思いながら、僕は今日も小さな魔女を追いかけた。
composed by Phant.F