失くした日、亡くした日。 -- A Day of Missing... --


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失くした日、亡くした日。
   − A Day of Missing... −


――君はどうか、僕の分まで幸せに。

 それが彼の、最期の言葉だった。


 それは一年後のお墓参り。
 わたしはこれっぽっちも悲しみを振り切れていなかった。
 目を閉じるたびに、優しかった彼のことを思い出してしまう。
 柔らかい笑顔。穏やかな声。暖かい身体。
 そして、最後に聴いた言葉。
 ‥‥彼の最期の願いは、叶えられていないのだけれど。

 階段を上りきった時、こちらに向かってくる男の人と目が合った。
 それだけなら、当然何の気にも留めなかっただろう。
「‥‥随分と悲しそうだな。」
 その声を聞くまでは。
 何と言ったらいいのだろう。声の雰囲気みたいなものが、彼とそっくりだった。
 立ち止まってわたしを見るそのどこか醒めた顔は、彼とは全く違うものだったけど。
「‥‥お墓参りだから。」
 わたしは短く答えた。
「それはそうだろうが。ここは悲しみを増しに来る場所じゃ、無い。」
 その声の雰囲気のせいだろうか。その言葉は何故か、わたしの心に響いた。
 1つは心に染み渡るように、もう1つは反発心として。
「分かったように、言わないで。」
 その言葉はもっともだと思った。でもだからこそ、反発した。
 自分の方が間違っている事が、半分解っていたから。
「これでも俺も、墓参りなんだがな。」
 確かに、お墓にいた理由なんてそれくらいしかない。
 そんな事も失念するほど、わたしは落ち込んでいる事を実感した。
「‥‥そうなの。でも、それなりに時間も過ぎているのでしょう?」
 醒めた表情から、わたしは勝手にそう思った。
「そうだな。奴が死んだのは‥‥一年くらい前のことだったか。」
 ――ズキッと、した。
 わたしが彼を亡くしたのは、ちょうど一年前の今日。
 同じくらいの時間で、この人は悲しみを持ち込んできている様子はない。
 でもわたしは、どうだろう?
「大切な、人だった?」
 わたしは知らず知らずのうちに、そう訊いていた。
「大切っつーか‥‥まあダチなんだがな。とんでもなく、いい奴だった。」
 そう言った表情が、少しだけ翳りを見せた。
 その一瞬で、わたしは自分の勘違いを知った。
 この人は、悲しんでいないんじゃなくて、悲しみを押し殺していたんだってことに。
「‥‥わたしもちょうど一年前に、大切な人を亡くしたの。」
 感情を殺した眼が、わたしに向き直った。
「‥‥でも、悲しみは持ち込んじゃ駄目だよね。」
 わたしは微笑んだ‥‥つもりだった。
「いや、無理に笑う事も、無い。抑えられないならまあ、悲しんでていいだろう。」
 何だか矛盾したような事を言われた。
「だったら‥‥何で声を掛けてくれたの?」
「‥‥何でだろうな。思い詰めた様な悲しみを感じたから、だろうか。自分の為の悲しみとでも言おうか。同じ悲しみなら、ここでは相手のことを想う悲しみの方がいいだろう?」
 ‥‥思いのほか感傷的なことを言う人だと思った。
「わたしの為の、悲しみ‥‥」
 何となく、言いたい事が解ったような気がした。
「っと。引き止めて、悪かったな。あまり気にしないでくれ。」
 そういうと、その人は歩き出した。
「ううん、ありがとう。大切な事を、忘れてた気がする。」
 わたしの言葉に、その人は手をあげるだけで応えてそのまま行ってしまった。

 結局お墓の前では泣いてしまったけど。
 悲しみにくれるだけじゃなくて、ありがとうとごめんねと安らかにね、を心の中でようやく言えたんだと今さらながらに気が付いた。

 ――それを気付かせてくれたあの人に、もう一度お礼が言いたかった。


 一週間後。
 いつもの駅を出たところで、偶然その人を見かけた。
 この間と違ってスーツ姿だったけど、雰囲気が同じだから間違いない。
 わたしが気付くとほぼ同時にその人が振り向き、自然と目が合った。
 やっぱりどこか醒めた顔。
 わたしが歩いてくるのを、その人はその場で立ち止まったまま待っていた。
「あなた、この辺りの人だったの?」
「ああ、まあな。」
 その人は短く答えた。やっぱり声の雰囲気みたいなものが、どこか懐かしい。
「‥‥スーツ、あんまり似合ってないね。」
 ‥‥彼のスーツ姿も、ちっとも似合ってなかった。それを言ったら、ちょっと落ち込んじゃった事を覚えている。なんでわたしはこの人にも同じ事を言ったのだろう?
「人が気にしていることを言うなよ‥‥。」
 その人は苦笑しながら答えた。
「それ、人の事は言えないと思うよ?」
 そう、この人がこの間わたしに向けて言ったことは、わたしがすごく気にしていた事だったから。
「確かにそうかもな。」
 その人は真顔に戻って言った。
 わたしもこの人も、自然に一週間前の事を思い出す。
 ――2人の間を、ひと時の静寂が支配した。
「‥‥思ったより元気そうだったな。」
 静寂を先に破ったのはこの人の方だった。
 その言葉の後ろに、『これなら声を掛けずとも良かったな。』という隠された言葉が見えたような気がして、わたしは答えた。
「そうでも、無いよ。今でもいろいろ思い出して、辛いんだから。」
「‥‥。」
 この人は黙ってわたしの言葉を聴いていた。
「‥‥でもね。」
 わたしは続けた。
「そんな彼に『ありがとう』を言えるようになったのは、あなたの言葉があったから。だから、あなたにありがとうが言いたかったの。」
「‥‥大した事をしたつもりは無いがな。」
 その人はわたしから視線を外して言った。
 その仕種がどうにも照れ隠しに見えて、ちょっとだけ可笑しかった。
「‥‥立ち話もなんだな。良かったら、コーヒーでも飲みに行くか?」
「あなたのおごりなら。」
「‥‥いいだろう。」
 あとの話は、世間話みたいなものだった。
 話の中で、この人は思っていたより若い――彼と一つ違いだった――事が分かった。

 この後、その人とは度々その駅で会い、その度に喫茶店で軽いおしゃべりをするようになった。


「最近ね‥‥ちょっとうまくいっていない友達がいるの‥‥。何だかいつもすれ違っちゃって‥‥。」
 わたしはいつしか、その人に悩み事を相談するようになっていた。
 話すのはいつも駅前の喫茶店で、同じ場所によく座る。
「大切な友人なのか?」
 そぶりは素っ気無いけど、話はちゃんと聴いてくれる。
「うん‥‥仲の良かった子の1人なの。」
「今でもそう思っているか?」
 大抵、返ってくるのは短い質問。そして――
「うん、今でもあの子は、親友。」
「なら大丈夫だ。」
 根拠の無さそうな単純な答え。
 ‥‥思えば彼も、柔らかい口調で答えるのは、いつも楽天的で単純な答えだった。
 ‥‥いけない。またわたしは、この人と彼を重ねて見てる。
「そう、なのかな‥‥?」
 多分それは、彼が『大丈夫』と言ったときには言わなかった言葉。
 ――でもそのおかげでわたしは、この人だけで無く、彼の思慮深さも知ることになる。
「不安は、無意識のうちに態度に出るぞ。」
「‥‥え?」
「不安に思っていることで、無意識のうちに相手を遠ざけている事がある、という事だ。だから、大丈夫だと思っていれば、大丈夫なものなんだ。」
 その言葉は、わたしをとても落ち着かせるものであった。
「大丈夫と思っていれば大丈夫、か‥‥何だかすごく安心したわ。ありがと。」
「‥‥受け売りだ。」
 わたしから視線を外して言う照れ隠し。わたしは気付かれないように少しだけ笑った。
「へぇ‥‥そんな事言ってくれた人があなたにもいたんだ。よっぽどいい人なのね、その人。」
「全くだ。」
 ――茶化したわたしの言葉に、珍しくその人が笑みをこぼした。わたしはそれに一瞬違和感を感じたが、その時その正体に気付く事は無かった。


 そしてわたしは彼を、自分の部屋に招き入れるまでになっていた。
 素っ気無いけど、優しい彼。
 その不器用な優しさを、わたしはいつでも感じていたかった。

 初めてわたしの部屋に来た彼は、しばらく部屋を見回していた。別に女の子の部屋が珍しいとかそういうことでは無さそうなんだけど‥‥。
 二人で向かい合って飲み物に口を付けた後、彼がぽそりと言った。
「彼の写真、無いんだな。」
 彼が『彼』と言っているのは、あの人の事だろう。2年近く前に亡くした、わたしの大切だった人。今でも好きな事に、変わりは無い。けど‥‥
「彼の写真なら、そこにあるじゃない。」
 わたしの指差した方を振り向く彼。
 そこにあるのは、わたしと、今目の前にいる彼と2人で撮った写真だった。
「これは、オレの――」
 彼はそこで、言葉を止める。
 少しの間、沈黙が流れた。
「悪い。一番してはいけない事を、してしまった。‥‥本当に、すまない。」
 ひどく後悔をしているのが、伝わってくる。あんまりにも後悔しているのを見るのが耐えられなくて、自分が今まで散々してきた事への罪悪感と自責に耐えられなくて、わたしは告白した。
「わたしだって、今までずっと、あなたとあの人を、重ねて見てしまっていた‥‥!」
 わたしの言葉に、口調の激しさに驚いたのか、彼ははっとしたようにわたしの方に向き直った。
「だから! ‥‥あなただけ、そんなに悪く思わないでよ、ね? お互い様って事に、しようよ‥‥」
 言いながらわたしは、怖かった。嫌われてしまうんじゃないか? ひどい女だと思われるんじゃないか? ‥‥だから、わたしは彼の方を見て最後まで言う事ができなかった。
「‥‥ありがとな。」
 今度はわたしが驚いて、彼を見上げる。彼はいつもの照れ隠しと同じように、視線を外していた。
「ばか‥‥ありがとうって言うのは、こっちの方なのに‥‥。」
 本当に、不器用で‥‥優しい人。


 ――そして、2年目のお墓参り。

 わたしはあの人のお墓参りに、彼を誘った。
 彼も丁度行きたかったところだと、快く同意してくれた。
 やっとわたしは、あの人に言う事ができる。
 『わたしは今、あなたの分まで幸せだよ』と。
 そして彼を紹介しよう。あの人ならきっと素っ気無い彼の中の優しさなんて一発でお見通しで、きっと喜んでくれるだろう。

 道すがらわたしは彼に質問をした。
 前から少しだけ知りたかったこと。
「あなたのお墓参りの人って、どんな人だったの?」
「あいつか‥‥あいつは、とんでもなくいい奴だった――ってのは、前にも言った事があったかな。」
「うん‥‥聞いた事があるよ。」
 階段を上りながらわたしは答えた。
「奴は大学の時の親友でな。そうだな‥‥こいつは別の奴から又聞きした事なんだが‥‥」

  あいつはあいつの彼女を事故からかばって死んだらしくてな。
  息を引き取る前にもあいつは彼女に『自分の分まで幸せになれ』と言ったらしい。
  その話を聞いたとき、ああ、あいつらしいな、と思ったものだ。

 それはあの人だった。
 わたしは驚いて彼の方を見たけど、彼は遠くを見ていてそれに気付かない。
「せっかくあいつの話をしているし、先にあいつのお参りを済ませていくか。どうだろう?」
 ようやく彼が振り返る。そして、驚いた。多分わたしが、泣いていたから。
「うん、本当に、いい人だったよね。」
「まさかとは思うが‥‥。」

 そしてわたし達は、1つのお墓の前で立ち止まった。
 わたし達は語りかけ始める。
「今まできっと、とっても心配かけてたよね‥‥。でも、もう大丈夫だよ。あなたを親友と呼んでくれる優しい人が、傍にいてくれるから。」
「‥‥こいつは責任重大だな。まさかお前の彼女だとは思わなかった。が、まあ安心しろ。オレも彼女は幸せにしてやらねば気が済まん。」
 わたし達は目を合わせた。彼は照れてすぐに目を逸らしてしまった。その代わり、肩に手が回り、抱き寄せられる。
 わたしは笑いながら、泣きながら、言った。
「きっと、わたし達を会わせてくれたのは――」
「ああ、こいつだろうな。」
 彼もすぐに、同意してくれた。


  わたしの大切な、今でも好きなあなたへ。
  わたしは今、とても幸せです。
  どうか、安心してください。
  でも、やきもちやかないでね?

  あなたの事だから、きっと祝福ばっかりなんだろうけど。
  ‥‥やっぱり少し、やきもちやいてほしい、かな?


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-- Piece of Phantom --
composed by Phant.F