「月無き夜の嵐」

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――真夜中。
夜を照らす月さえ無い、暗闇の中。
誰もが寝静まる、その時刻。
1つの影が、走っていた。
辺りの静寂を、崩さぬままで。

「‥‥調査報告を願おうか、諜報員{エージェント}『第三の目{サードアイ}』。」
裏通りの酒場。奥の方の席で、きちんとした服装の女性に灰色の髪の若い男が話し掛けた。
「こういう所では、私の事はレンシーナって呼んでもらわなければ困りますよ〜。さもないとあなたの事を、暗殺者{スタッバー}『闇夜の風{ダークナイツウィンド}』って呼びますよ?ナイドさん。」
話し掛けられた女性が答えた。外見よりも子供っぽい声だ。
「自分もしっかり口に出してるわよ、シーナ。それにしても、ナイドも動くんだ。結構厄介な『仕事』のようね。」
隣の席に座っていた女性――少女と言った方が良いだろうか――が話に加わった。
「『黒猫{ブラックキャット}』‥‥キミも加わるというわけか。報告はまだ聞いていないのか?」
ナイドと呼ばれた男が質問を返す。
「その暗号名{コードネーム}、気に入ってないんだからあまり使わないでよ。‥‥報告は『もう1人が来てから』ってシーナがね。」
「別に2回話すのが面倒だったというわけではありませんよ?カトレアさん。」
聞かれてもいないのにレンシーナが言った。
面倒だったんだな、と2人は思った。
「ならば始めてくれ、レンシーナ。オレとキャシーがどう連携を取れば良いのかも合わせてな。」
「そうそう。そう言えばあたし、ナイドと組んだ事無かったしね。」
「分かりました。」
レンシーナの『報告』が始まった。

「標的{ターゲット}の名前はフォクソン=ド=グニナークス。知っての通り、今では表の世界でも充分要人ですね。優れた魔術師にして参謀とも、優れた剣士とも言われています。でも彼は元々から裏の世界と繋がっていて、影ではいろいろやっているようです。それだけならばどこにでもあるようなお話なのですけど、彼は禁断の領域――高位の精神操作の魔術にまで手を出し、それを秘密裏に行使しているのです。」
「秘密裏に行使されていたのに、良く分かったわね。」
カトレアがレンシーナの話を中断する。
「最近は使い方が派手になってきていたようで‥‥その、言いにくいのですが――」
レンシーナが話しにくそうにするのを見てか、もう一度カトレアは話に割り込んだ。
「大体分かったわ。なるほどね、そりゃこっちに話もまわって来るわね。」
「‥‥『報告』を続けてくれ。」
嫌そうな顔をしているカトレアに対し、ぴくりとも顔色を変えずにナイドが言った。
「はい。それでここからは噂なのですが、魔族と契約したとも、彼は魔族そのものなのだとも言われています。そうで無くとも、彼は戦いに関しても優れています。充分注意して下さい。また、周りにはガードや操作された人が多数います。ある程度の戦いは覚悟して下さい。」
「なるほどね、だからナイドなんだ。ガードが固いんじゃ毒とかは難しいもんね。」
納得したようにカトレアが言う。
「ですのでナイドさん、手段は任せますので、あなたはターゲットの消去を最優先にして頂きます。」
「承知した。」
「ならばあたしが選ばれたのはガード達を黙らせる為ね。あたしがやれば被操作者にダメージが少ないからでしょ。」
「はい、おそらくそうだと思います、カトレアさん。――それで、間取りなどの詳しい資料はこちらに用意しました。」
レンシーナが1部の資料を取り出した。早速カトレアが受け取り、ナイドはその後ろから読んでいる。
「先の話も含めて、情報の出所は確かか?」
ふと、ナイドが問う。
「大部分は私が直接『観』ました。さすがに間取りを調べる時は少々怖くもありましたけど。」
レンシーナが答える。
「なるほど、シーナの『目』なら間違いはないね。」
資料を読みながらカトレアが言った。
――暗号名{コードネーム}は通例、あまり理由無く付いていたりはしない。
レンシーナのものも、例外では無い。彼女は少々、特別な『眼』を持っていた。

「それじゃあ、明日の同じ時間に、次の集合場所で。」

某所の地下室。3人が、また集まった。
「今日は早かったのね、ナイド。」
「ああ。」
カトレアに素っ気無い返事だけを返して、ナイドは装備のチェックをしている。
「‥‥シーナ、あれから何か変わった事はあった?」
つまらなかったのか、カトレアは話し掛ける相手を変更した。
「そうですね‥‥特にこれといった動きはありませんでしたよ。一日しかたっていませんからね〜。」
「なら、昨日の話通り、あたしが取り巻きを無力化して、ナイドが目標{ターゲット}を消すんだね。」
「はい。でも、始まってからは臨機応変でお願いしますよ。」
「それは分かってるって。」
彼らは計画を綿密に立てているが、それを崩して行動する覚悟もできているようだ。
「レンシーナ、昨日の話にあった、魔族がらみの話に進展は無かったか?」
チェックを終えたナイドが話に加わってきた。
「残念ながら未確認のままです。最悪の事態も想定しておいて下さい。」
「了解した。‥‥キャシー、キミの『無力化』の技とは、一体何だ?」
返事を聞いて、今度はカトレアに話を振った。
「あれ?ナイドさんはカトレアさんの得意技をご存知ありませんか?」
レンシーナが意外そうな顔をして言った。
「ああ。昨日の話にもあったが、オレとキャシーは組んだ事が無いからな。」
「あたしはナイドの事はある程度知っているけどね。」
「ナイドさんの『バックスタッブ』は、ギルド内では有名な話ですからね〜。‥‥カトレアさんが得意なのは、『眠りの魔法』と『気絶打撃』です。素手のままで相手を無力化して短剣1本で充分とどめが刺せるので、装備が非常に身軽ですむという利点を持ち、潜入も良く行われています。」
「なるほどな。」
話がそこで途切れたので、レンシーナが言った。
「他に御質問はありませんか?‥‥無いようでしたら、時間まで仮眠をお取り下さい。」
『了解。』
2人は深夜の行動に備えて、仮眠を取った。

――真夜中。
「現地までは別々に行きましょ。あたし先に行ってるから。」
カトレアはそう言うと、外に出て行った。
「じゃあ、オレも行くか。‥‥では、これより『任務』を開始する。」
「お気を付けて。」
レンシーナに見送られ、ナイドも外に出た。

外は闇夜。静寂が街を支配している。
その闇に溶け込み、静寂を崩す事無く走る影が1つ。
ナイドである。
彼は当然のように誰にも気付かれる事無く、ある屋敷に着いた。

浅黒い肌に黒髪黒目の少女が彼に合図を送ってきた。カトレアである。
合図を送ってこなければあるいは気付かなかったかもしれない。
ナイドは彼女の元に向かった。
「始めましょ。」
「了解。」
彼らは、屋敷の敷地に入った。
瞬間、彼らは魔法の境界に触れたのを感じた。
「何、今の‥‥!」
カトレアは小声であるが、少々慌てているようだ。
「警報{アラーム}系の魔法だろうな。これは厄介な事になりそうだ。」
表情を崩さずナイドが言った。

――屋敷に、複数の人間が動く気配が戻ってきはじめた。

「最初に範囲の広い『誘眠{スリープ}』をかけるから、それまではあたしより前に出ないで。あと、かかっても起こされたら起きちゃうから、それにも気を付けて。」
「了解。」
「じゃ、行くわよ。」
彼らはそれ以降は静かに、建物に近づいた。

裏口。近くに人の気配は無い。カトレアが注意深く調べた。
鍵は掛かっていない。彼らは慎重に、中に入った。
次の部屋は、大きな広間。複数の人の気配がある。
ここに一番人が多く集まっているようだ。
カトレアが、印を組むなどの動作を始めた。声を出さずに呪文を唱えようとしている。
だがそれには、効果の減少や動作が大きくなるなどの弊害がある。
彼女は効果の減少を押さえるため、長い時間を取って力を収束した。
準備動作が終了する。
扉を、開いた。
「誘眠{スリープ}!」
部屋の中の全員を対象に、精神力の多くをつぎ込んだ眠りの呪文が広がった。
部屋の中にいた人の半数ほどが、眠りに落ちた。
――効果が薄い!?
彼女は、相手の8割を眠らせられる自信があった。
理由は分からないが、とにかくのんびりとしてはいられなかった。
この辺りの人間に姿を見られる事は、得策ではないのだ。
あまり関係の無い人間を、巻き込みたくはないのだ。
少なくとも、カトレアは。
彼女は顔を布で覆って前だけは見えるようにし、もう1つの無力化の特技、『気絶打撃』で何とかしようと飛び出した。
そこにいたのは予想通り使用人などのあまり関係の無さそうな人達。
操作された人も、混ざっているかもしれない。
眠ったのは半数。囲まれたら危ないし、あまり音を立てては眠った者達さえ目を覚ます。
それでもやらずにはいられなかった。

結局、3人を気絶させた時には、一度は眠った人さえ目を覚まし始めてしまっていた。
失敗!?――カトレアがそう思った時。
   闇よ、光を拒め‥‥
「闇{ダークネス}‥‥」
部屋にある明かりが、魔法の闇に覆われた。
そして部屋に、夜の闇が戻ってきた。
周りがざわめく中、カトレアの眼はすぐさま闇に順応した。
――カトレアの暗号名{コードネーム}、『黒猫{ブラックキャット}』。
それは、彼女の容姿、動きの機敏さ、catで始まる名前も関係している。
しかし本当の理由は、闇に素早く順応するその眼にあった。
ナイドはそれを知らなかったが、可能性に賭けてみたのだろう。
‥‥もっとも暗殺者達の眼の闇への反応は、一般人よりずっと早い。それだけでも充分価値のある物と踏んだのだろう。
現に片目を閉じて呪文を唱えたナイドは、すでにそちらの眼では見えている。
見えている者といない者では優劣は明らかで、ナイドも加わって部屋にいた者達を気絶させていった。
「少々手口が派手になってしまったな‥‥。」
ナイドが小声で言った。
「もう少し呪文、効くはずだったのだけど‥‥」
「効かなかった物は仕方が無い。そういう対策がしてあった可能性もある。
何しろ相手も精神操作魔法の使い手だ。」
「でも、闇の魔法が使えるのなら先に言っておいてよね。」
カトレアが文句を言った。
「オレのことを知っているのではなかったのか?」
「それはバックスタッブの話よ。もしかして、他にも何か隠してるの?」
「隠しているわけでは無いが‥‥。オレは風の魔法も使う。」
「分かったわ、覚えておく。それじゃ、先に進みましょ。」

標的{ターゲット}の部屋の前に来た。しかし、人の気配が無い。
「上にいるな‥‥。」
ナイドがつぶやいた。
「上?なんで上だって思うの?」
「上の方から音が聞こえる。」
言われてカトレアは耳を澄ませたが、何も聞こえない。
「聞こえないわよ。」
「そうか。言い忘れていたが、オレは特別鋭い聴覚を持っている。‥‥っと怒るな、相手に感づかれる。もっとも、すでに相手に感づかれているからあまり意味は無いか。敵もすでに迎撃態勢だからな。」
口の端に笑みを浮かべて、ナイドが言った。
「迎撃態勢ってどういう事?」
「上に何があるか覚えていないか?あるのはダンスホールだ。狭い場所では戦いたくないと言っているようにしか思えない。すでに暗殺でも何でも無くなっているが、誘いに乗るか。」
「正面から行って、勝てるの?」
カトレアが訊いた。
「さあ、な。やってみない事には分からん。」
そういうナイドは、結構やる気だった。

ダンスホールの扉が、何のためらいも無く開かれた。
標的{ターゲット}のフォクソン本人に、6人のガードが中にいた。
全員、武装している。フォクソンの装備は、魔法剣士のそれだ。
「夜分わざわざご苦労。ご苦労ついでに、死んでゆきたまえ。」
高圧的な台詞と共に、フォクソンが指を鳴らした。
扉が閉まり、ガード達が向かってきた。
扉は、魔法で閉められたのだろうか。
何にせよ、閉じ込められたのには違いはない。
「簡単に殺れるなんて思わないでよ!?」
カトレアが言った。
「その台詞は立場が逆だ。」
ナイドはカトレアに突っ込むと、剣を抜いてフォクソンの方に向かった。
カトレアも、身構える。
「鋭化{シャープネス}!」
フォクソンが自分の剣に魔法をかけた。これは武器の鋭さが増す魔法だ。
構わずナイドが駆け込む。
   キィンッ!
2人の剣が交わった。

カトレアにはガード達が何人か向かってきている。彼女はその攻撃を、体捌きで巧みに躱していた。
数が多い事もあり、反撃にはなかなか転じれないでいるようだ。

フォクソンと戦うナイドにガードの1人が向かってきた。
背後からナイドに斬りかかってきた。
フォクソンも、それに合わせて攻撃を仕掛けてくる!
「移動術・影掠め‥‥」
ナイドは次の瞬間、背後から斬りかかってきていたガードの背後に立っていた。
斬りかかってくるガードの脇を通るように、ごく低い姿勢でバックステップをしたのだった。
フォクソンとガードの1人がもつれ合う。
その隙を突いて、ナイドは素早く詠唱した。
   風の刃よ、切り裂け‥‥
「風の刃{ウィンドブレード}!」
   ザシュッ!
風の刃は、カトレアにこれから攻撃を仕掛けようとしていたガードを切り裂いた。
「ぐああっ!」
その好機を逃すカトレアではない。
「やっ!」
   タンッ!
首筋を狙った手刀がまともに当たり、そのガードは昏倒した。

もつれていたと思われたフォクソンとガードの1人。
実際はフォクソンの攻撃が、ガードを斬ってしまっていた。
「小癪な!‥‥受けよ、剣の乱舞!」
「連撃・乱れ風‥‥」
技がぶつかり合った。
   キィン!キィン!キィン!ザッ!キィン!キィン!
連撃は、ナイドの方が一撃多かった。
フォクソンの身体に浅い傷ができている。が、魔法で強化された剣とぶつかり続けたためか、
ナイドの剣がダメージを負っていた。
それをフォクソンは、見逃さなかった。
彼は懐から水晶球のような物を取り出した。
「邪球よ、次の標的は彼奴だ。」
言った途端、その球体はナイド目掛けて凄いスピードで飛んだ。
彼はかろうじてそれを躱した。
だが、すぐにまたナイドに向かってきた。
「これは‥‥魔族のアーティファクトか!?」
「いかにも。さあ、何度耐えられるかな?」
もう一度かろうじて躱したと思ったそれは、わずかに身体を掠めていった。
それだけで、かなりの衝撃が走った。
すぐに次が来る。ナイドは剣を犠牲にするのを覚悟で、それを斬り付けた。
   ガキィィィィン!
予想通り、剣も球体も砕け散った。
「さて、剣を失って、どうする?」
フォクソンが、余裕の顔で近づいてきた。
それを聞いてか聞かずしてか。
「3度目か‥‥これは、考えねばな‥‥。」
ナイドは、そうつぶやいた。

ガードの1人がそれを見てか、ナイドの方に向かって行った。
「ナイド!」
思わずカトレアも叫ぶ。
そのガードはそのままナイドの背後から斬りかかった。
   ドゴッ!
ナイドは、渾身の蹴りでそれをふっ飛ばした。
フォクソンは先程の技を警戒してか、あえて仕掛けては来なかった。
それも、余裕のなせるわざなのか。
「お前は良くやった方だろう。さあ、観念するが良い。」
そういうと彼は、大技の構えを取った。
ナイドは先程からずっと、黙っている。
「この一刀であの世にいける事を幸運に思うが良い!‥‥秘剣・断空斬!」
――その剣は、ナイドに振り下ろされる前に止まった。
   グォンッ!
「闇の球体{ダーク・スフィア}‥‥!」
ナイドには、沈黙の詠唱で唱えられる魔法があった。その1つがこれである。
本来は射撃系の呪文であるが、今回は直接叩き付けられた。
「ぐおおおおお!」
叫びをあげるフォクソン。しかし、ナイドの攻撃はこれで終わりではなかった。
   シャキン!
右足のブーツの爪先から刃が飛び出す。間髪を入れず、回し蹴りを放った。
   ドスッ!
「バック・スタッブ‥‥」
その刃は背中から、心臓を突き刺していた。

「任務、完了いたしました。」

その後は、簡単だった。
後処理は速やかに行われ、彼らはアジトに戻ってきていた。
「『闇夜の風{ダークナイツウィンド}』、『黒猫{ブラックキャット}』、『第三の眼{サードアイ}』、ご苦労だった。しばらくは休むと良い。」
ギルドマスターが言った。
「長{マスター}、しばらく捜してみたい物があるのだが、良いだろうか?」
ナイドがギルドマスターに訊いた。
「何かなナイド。」
「折れない剣を捜してみようかと思っている。」
「ふむ、折れない剣か。こんな話を聞いた事がある。自分の魔力のすべてを物体に貸し与える代わりに、その物体をそれだけ強化する術があるというのだ。あとでファイルを届けさせよう。そこにはもう少し詳しい事が書いてあるはずだ。それを捜してみてはどうかな?」
「魔力のかわりに、折れない剣が手に入るのか。‥‥そうですね、捜してみますよ。」
意外にも、答えは近くにありそうだった。

結果この術は捜索の末に見つかり、以降のナイドの剣は黒き剣となった。
魔法が一時的にとはいえ使えなくはなったが、その分を別の技術でカバーする事となる。

それが、今のファントの技術であるのだ。

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